キッチンの確執・・・ニンニクを入れるのは先か後か・・・?


日本にいた時から、私の作る料理は日本ぽくなくて、日本料理は苦手な方だった。好きなのはイタリア料理の作り方をベースにしたものや、タイ料理のような炒め物とか(思えばナムプラーはキッチンで必須の調味料だったのに、トルコでは全く必要性を感じてない)。


学生時代に自転車で旅行して周っていた時は、簡単に作れる自炊が必須だった。


自転車を離れた旅行でもタイにはよく行ったし、世界一周旅行をしたので、その時の経験も私の作る料理に反映されてるのだろうと思う。


それに以前イスタンブールに住んでいた時も、グルジアに住んでいた時も、その土地の料理を作っていた。(イスタンブールでは気ままな一人暮らしだったから、簡単なものばかりだったけど)


トルコに17年ぶりに住み始めて、食生活には何の違和感もなく、日本食を特に恋しいと思うことはないのだけれど、トルコ人の相方と住み始めるにあたって、いくつかの壁があった。


それは、料理のやり方・・・。


私のやり方は、先に鍋にオリーブオイルをいれ、ニンニクを入れたら弱火でじっくり香りを出していくという、イタリアン方式。スパイスもインド式に先に入れるか、途中で入れる。


それが、彼によると”間違い”で、”ニンニクもスパイスも最後の方で入れる”となる。

(確かにその方がニンニクの味が引き立って美味しかったりするので、私も最近はこれでやっている)


肉を使う料理の時も、まず先に肉を鍋に入れてから、蓋をして弱火で蒸し焼きにし、肉汁が出て来たら、さらにそのままにしてその肉汁が肉に戻るまで待って、ほかの材料を入れる。


そうそう、それと、料理は弱火で!がモットー。肉を強火で焼き付ける・・・なんてことはしないのだ。


なにせ彼は中学の時から家を出て、自炊しながら生きて来た人なので、自分のやり方にポリシーを持っているから、自分が正しい!と思い込んでいる。


で、私が違うやり方でやってると「間違ってる!」と喝が飛んで来て、自分が作り始めることもしばしば・・・。


で、バターやトマトペースト(唐辛子入りのやつ)を結構入れる。


その都度、ひえ〜、日本にいた時は私の料理美味しいって言われてたのになあ・・・などと内心思いながら引っ込んで彼の作り方を眺める。


で、出来上がってくる料理は、一般的なトルコ料理とちょっと違っているのだけど、確かに美味しいのだった。


盛り付けも、大雑把だけどセンスあると思うのは、彼は根っからのアーティストでもあるからなのだと、改めて思う。彼の中にはいろんな世界が渦巻いていて、いつも頭の中がいっぱい。だから自分のやり方と違うものを受け入れるのが難しい。気が向いた時だけ作るのもやっぱり芸術肌か・・・笑





*これは彼の過去の作品の一つ。レストラン向けの作品で、マヤがベースになっている。






だいたい私は、一人だったらパスタ作って食べてればご機嫌な人。今回のトルコ暮らしでも、嬉々としてスーパーに並ぶバリラの箱を数種類選んでカゴに入れたくらい。



パスタ好きな女性に対し、男性はパスタは嫌いという人が多いけれど、彼も、もれなくそう。


貧乏学生時代にマカロナ(マカロニのことをトルコではこう呼ぶ)ばっかり食べたからだという。


かくして、戸棚にしまいこまれたパスタの出番はそうそうなかったのだけれども、ある時、夜中にお腹が空き、パスタが食べたくなって作ってみた。






野菜のみで作ったパスタは、我ながらいい出来で、美味しそう。


自分用に作ったとはいえ、とりあえず味見してもらう。


「うまい」


こういう汁気のある方が俺は好きなんだ・・・という。




・・・そうやって、だんだんキッチンの確執は少なくなって来て、最近は作った料理を認めてもらえるようになっている・・・笑。





トルコ料理#イタリアン#海外生活#Fethiye

Life is a Journey  人生は旅

17年のブランクを経て 再度トルコに住み始めた私の徒然・・・

SHOKO

学生時代に自転車で日本各地を旅し、世界一周バックパッカー旅。

その経験から、卒業後はNGOに勤務していました。その時のキリム(トルコやその周辺諸国で織られている平織の織物)との出逢い
により、仕事を辞めイスタンブールに住むことに。

アンティークキリム、絨毯の最先端を行く、当時のイスタンブールを拠点に、ヨーロッパやアメリカで行われていたアンティークテキスタイルのコンフェレンス等にも行ったりしていました。

そして、隣国アルメニアへ行く途中通りがかったグルジアに住むことに。

当時のグルジアに住んでいた日

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